西国さんの軸


平成31年4月30日(火) 雨のち曇り

世の中は、「平成最後の日」「平成から令和へ」の話題一色
そのニュースを見て「西国さんの軸、完成させようか」と家内と相談

昭和・平成と40年かけてお参りして3ヶ寺残っている。
上醍醐寺(京都)、華厳寺(岐阜)、お礼参りの善光寺(長野)
「4月30日は、雨の予想だからそんなに混みあわないのでは?」ってことで出かけることに。
ゴールデンウィーク直前に決めたので、宿が取れない。じゃぁ、日帰りで行くことに。
日帰りってことは、長野は行けないので本日は、満願にはなりません。

「西国さんの軸」とは、
西国三十三所は、近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音信仰の霊場の総称。これらの霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行である。
西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。
結願のお礼参りとして、最後に信州の善光寺に参拝し、33箇所と番外の3箇所に加えて計37箇所を巡礼するとされているが、高野山金剛峯寺の奥の院、比叡山延暦寺の根本中堂、奈良の東大寺の二月堂、大阪の四天王寺をお礼参りの対象、あるいは番外霊場に含んでいる場合もある。
お参りした折に掛け軸や納経帳に宝印の印影を授かる。(Wikipedia)


西国第三十三満願霊場 谷汲山華厳寺
西国第三十三満願霊場 谷汲山華厳寺
西国第三十三満願霊場 谷汲山華厳寺

「たにぐみさん」の愛称で親しまれる当山は延暦十七年(798)に創建され、正式には「谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)」といい、日本最古の観音霊場「西国三十三所観音霊場」の第三十三番札所で結願・満願のお寺として知られています。岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある天台宗の寺院

午前中は強い雨だったが、以外にも参拝者が多い。
帰宅してからのニュースで知ったことだが、平成最後の日という事で神社仏閣はパワースポットとして人出が多かったようだ。
そういえば、若い人が多かった。
雨なら人出は少ないと読んだ私達は、久しぶり(10年以上)の西国参りなので世の中の変化についていけてないのかも。



新西国三十三箇所第20番札所 立木山寺


立木山寺
立木山寺
立木山寺

立木山安養寺(あんようじ)は滋賀県大津市にある浄土宗の寺院。
「立木観音」の通称で知られており、地元では「立木さん」とも呼ばれ親しまれている。弘法大師が42歳の厄年に開かれたことから厄除けの寺として知られ、新西国三十三箇所第20番札所としては立木山寺(たちきさんじ)とも呼ばれる。

午後になって雨も上がりちょっと蒸し暑い。
今の時代、出発前にネットで事前情報は持っているが、階段中央の「石段 八〇〇余段」を見て・・・

写真の石段の上ったところに「五丁」の石標あり。1丁=109m

四丁地点 汗が流れて
四丁地点 汗が流れて
四丁地点 汗が流れて

雨上がりの蒸し暑さで結構暑い。
まだ100mほどなのに

「一歩二歩うれしくのぼる たちきやま・・・」












新西国三十三箇所
新西国三十三箇所
新西国三十三箇所

(しんさいごくさんじゅうさんかしょ)は、観音巡礼の一つ。
西国三十三所観音霊場に隣接する観音奉安寺院を同巡礼の途上で参拝することは江戸時代から行われた記録があるが、正式に「新西国三十三箇所」としてまとめられたのは1932年(昭和7年)である。大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場が「新西国三十三箇所」である。このため、聖徳太子霊跡の寺院が四天王寺・橘寺・飛鳥寺・斑鳩寺などが含まれている。前述の3新聞の読者により人気投票が行われたために、兵庫県と大阪府に特に霊場が集中している。(Wikipedia)



西国三十三箇所第11番札所 上醍醐 准胝堂


上醍醐 准胝堂
上醍醐 准胝堂
上醍醐 准胝堂

西国一険しい札所として知られていた。
ゆえに私たちの軸も残っていたが、平成20年8月の落雷が原因による火災によりお堂が焼失したため、本尊の准胝(じゅんてい)観世音菩薩は、下醍醐の女人堂に安置、ご朱印は観音堂で受けられる。

上醍醐への登山は、平成31年4月6日に再開されたが、私たちは下でお参りしました。
十九丁(1時間以上)の山道です。

写真は、醍醐寺 西大門(仁王門)
醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある仏教寺院。真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基は理源大師聖宝である。古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持つ。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。(Wikipedia)


五重塔(国宝)
五重塔(国宝)
五重塔(国宝)

醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展した。後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。

その後、室町時代の応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残された。しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が再建されたりなどし、今日の姿となった。





平成30年台風第21号
平成30年台風第21号
平成30年台風第21号

仁王門をくぐってすぐの両脇は無残な姿でした。
平成30年9月4日の台風です。
結構太い木々が全滅しています。
戻るのに何年かかる事でしょう。









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