機関区にて

地図

      『機関区にて』と題しました。機関区や操車場の風景です。
昭和45年ぐらいまでは機関区内にも撮影に入れて頂けました。
事務所で記帳をして、ヘルメットと腕章をお借りすると“いざ”と気分が変わりました。
タイトルの写真は私の蒸気機関車との出会いの初期の作品です。(昭和41年8月)
今日からなら 51 年前です。

機関区にて
機関区にて

ターンテーブル
ターンテーブル
ターンテーブル

筑豊本線・直方・昭和45年1月(1970/1)C11

転車台なんて現在では見た事のない方も多いと思います。
蒸気機関車はご覧の通り前と後ろがあります。C11、C12、C56型のようにバック運転が やり易い様に設計された機関車もありますが、大型の機関車は転車台で向きを変えて次の仕事にむかいます。

出発を待つD51
出発を待つD51
出発を待つD51

夕張線・ 夕張・ 昭和48年7月(1973/7)D51

夕張で宿に入り、夕食後の午後7時から10時ごろまで機関室で機関士さんと話をしました。
何を話したのかは覚えていませんが、当時の“ゆとり”を思い出します。
このD51のボディーライン、きれいでしょう。

雪の操車場
雪の操車場
雪の操車場

直方機関区・・・・・昭和45年1月(1970/1)

陸橋の上からの撮影ですが、下を機関車が通ると煙の勢いで身体が持ち上がった記憶があります。
足元がアミのような陸橋だったのかの記憶は定かではありませんが、白っぽいコートが真っ黒になり、 三脚を持っていなければ、乗り物に乗るのが恥ずかしかった事を思い出します。三脚を持っていれば 汚いかっこうでも、そんなに恥ずかしくなかった覚えありませんか?

えりもにて
えりもにて
えりもにて

日高本線・様似・昭和48年7月(1973/7)C11

北海道でも“えりも”まで行くと、「のどか」と言うより寂しかった。
昭和48年と言えば“SLブーム”で結構SLの撮影人口はありましたが、えりもでは見かけませんでした。 この旅行は日高をメインに、静内、日高三石、絵笛(SLとサラブレッド)そして様似とゆっくり行程で、 えりもの初夏を楽しみました。 撮影旅行も昭和45年ぐらいまでは、一度出かけると“あそこも、ここも”と気ぜわしくまわりましたが、 この頃になると“ゆっくり”モードでした。

機関庫の朝
機関庫の朝
機関庫の朝

花輪線・荒屋新町・昭和46年6月(1971/6)8600

こうして20年以上前に撮影した写真を整理していて気付いたのですが、撮影旅行に特徴があります。
昭和46年6月の旅行は、友人と大館で待ち合わせをして、花輪線と五能線、そして北海道に渡り、函館本線、 胆振線に行ったのですが、人をテーマに撮影しています。整備風景や誘導、駅長さん等“鉄道員” の写真が多いです。その時の自分の心境が出ているのかもしれません。そんな経験はありませんか?

架線の下で
架線の下で
架線の下で

鹿児島本線・熊本・昭和45年1月(1970/1)C61+9600

昭和45年10月に熊本ー鹿児島間が電化されましたが、当時“日本縦貫電化完成”と国鉄の ポスターにDISCOVER JAPAN の文字といっしょに良く見かけました。

鹿児島機関区
鹿児島機関区
鹿児島機関区

鹿児島本線・鹿児島機関区・昭和47年8月(1972/8)

何の行事だったのかは覚えていませんが、鹿児島機関区に近隣の機関車が集いました。
私はこの催しを現地に行くまで知りませんでした。私のこの旅行は指宿線がメインでした。
SLブームになってからは、人の少ない線区をまわっていました。

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